結果発表

インタビュー 第9回

さがら総

第6回 最優秀賞 受賞

結局、書ければ楽しくて
書けなければ楽しくない

睡眠以外のすべての時間を捧げて、序盤を猛スピードで駆け抜ける

初めてライトノベルというジャンルを書いたとき、恥ずかしながら、この業界のことをほとんど知りませんでした。作品タイトルはわかっても各レーベルを判別できず、MFについては『ゼロの使い魔』が出ているところ、という程度のイメージを持っていたのだと思います。

しかし当時、年四回の募集をしていたのはMFだけで、最初の投稿作を書き上げた12月末に〆切がある新人賞もMFだけでした。ともかく早く結果が知りたい、という欲求に追い立てられて投稿しました。

すべてはタイミングの問題でしたが、結婚と同じく、こういうのは思いきりが大事なのでしょう。結婚したことないのでよくわかりませんが。

投稿者時代に一番心がけていたのは、睡眠以外のすべての時間を捧げて、序盤を猛スピードで駆け抜けること、です。

今よりもずっと勢いで書いていたので、いつも物語の中盤から終盤の入口あたりで立ち止まって悩むことがあり、そこまでに日数を費やしていると誰より自分が飽きてしまうのではないかという強迫観念のようなものがありました。

最初の一週間で文庫半分ぐらいの分量を書いて、三週間で残りの半分を書くイメージです。今からすると夢のような書き方ですね。ひょっとすると本当に夢だったのかもしれません。もはや全ては夢まぼろしのごとくなり……。

大学に行くふりをして家を出て漫画喫茶にこもり……

大学の単位が足りないのが明白になったとき、さて、自分にはなにができるのだろうと考えました。

我が身を振り返ってみると、高校時代は文芸部員で、当時からPBWというサービスで文章を書くアルバイトをしていました。それで、小説ならいけるんじゃないかという甘い考えのもとに書き始めました。

朝、大学に行くふりをして家を出て漫画喫茶にこもり、夕方、大学に行ってきたようなふりをして家に帰る生活は本当につらかったです。今でもたまにその頃の夢を見て飛び起きます。

最初に投稿した作品が三次選考まで進み、編集さんから連絡をいただいたことで少しほっとして、原稿を書きに行くと言って家を出るようになりました。

漫画喫茶にこもったはいいものの、まったく書けずにドリンク飲んでマインスイーパーやって新記録更新して家に帰るときが一番苦しかったです。クズはクズなりに、若さとお金を無駄にしていることはよくわかっていたので、せめてやれることをやれよ、と帰り道で見上げた月の憂鬱と焦燥感が強く心に残っています。原稿を書くことは、自分にとっては逃避行為、代償行動以外のナニモノでもありませんでした。

楽しかったことは、物語をつくるという領域において自分でもできることがあるんだなあ、という瞬間瞬間の喜びです。うまく言えませんが。最初の長編を書き上げたときも、それなりに達成感がありました。

結局、書ければ楽しくて書けなければ楽しくない——という部分は、あれから数年たった今でもなにひとつ変わっていないのかもしれません。

(これがライトノベル……!)

受賞の連絡は、基本ネガティブな人間のため、全く信じられませんでした。とくに受賞作にはまるで自信がなかったもので、「てんでダメ」をもじった適当なペンネームで応募してしまって、使用したメアドもチェックしていませんでした。受賞メールが来ていることに数日たってから気づき、おそろしく動揺しながら返信した記憶があります。当時の日記を読み返すと、三行に渡ってひたすら「うそだー」「ありえんなー」「うーん」「なんで?」しか書いていません。

でも、数日後に編集部に招かれたときには、少し実感が湧いてきました。

本当の意味でうれしさを実感したのは、受賞が発表されて、祖母が喜んでくれたときかもしれません。

担当の編集さんと最初にお会いしたとき、自然な流れで改稿の話になったのですが、一番に「ヒロインを脱がしましょう!」「白スクを着せましょう!」と言われ、(これがライトノベル……!)といい意味でカルチャーショックを受けました。イラストになりやすいエピソードを考える、ひいては読者の欲求を掬い取るということを、そのときから学ばせていただきました。

また、第一期の受賞だったため、発売までにかなり時間があり、そのあいだにできるだけ原稿を貯めようとしたものの、二巻予定の原稿が全ボツになったときは正直かなり凹みました。まあでも、あれが通っていたら変猫は今よりもっとドシリアスな話になっていたと思います。どこかで世に出せませんか。出せませんね。そうですよね。

結局、書ければ楽しくて書けなければ楽しくない——という部分は、あれから数年たった今でもなにひとつ変わっていないのかもしれません。

文字表現に一番マッチした面白さを形作りたい

『変態王子と笑わない猫。』が発売された後は、実家での風当たりが弱まってよかったです。

ただ、発売に喜ぶという感覚はほとんどありませんでした。悩み多き日々を過ごしていたので、これからどうなるんだろうという不安のほうが強かったのだと思います。

一巻発売直後にあった受賞パーティーの三次会で、「ぼくはこの業界でやっていけるんでしょうか……」と先輩作家に相談したら鼻で笑われ、数年後にネットで晒されるという心温まるエピソードもありました。

デビューして不安が消えたかといえばもちろんそんなことはなく、おそらくそんなに変わった部分はないのですが、とりあえず、担当さんの電話から逃げないようになりました。書けないときは「書けない!」と言えるようになりました。冗談ではなく、本当に大事なことだと思っています。現状認識能力が上がったことで、上手く作品に向き合えるようになったかなと。

精神面はともかくとして、技術的なことで昔と比べてどう変化したか、というのは自分ではわかりづらいですね。いずれにせよ今までもこれからも、主人公の一人称の特徴づけと、文字媒体としての物語であることにこだわりたいと思っています。

マンガでもなくアニメでもなくゲームでもなく、ライトノベルを書いているということ。それを強く意識して、文字表現に一番マッチした面白さを形作りたいです。それが正しいわけではまったくなく、むしろメディアミックスと切り離せないライトノベル市場においては、完全に害悪な考えなのですけれども。しょうがないね!

同じデビューをするならば……

作家として尊敬してやまない三浦先生が、先のインタビューにおいて、MFならではのメリットを否定されていらっしゃるのを確認した以上、清く正しくいつも忠実な後輩としてはもちろん意見を同じくするところであります。

ただひとつだけメタ的に言うならば、新人賞の差別化が難しく、なおかつネット小説が隆盛を極めている昨今、あえてこうした特集ページを新設することは特筆に値することだと思います。MF文庫Jは、今後も新人賞を盛り上げていくという強い意志の表れなのでしょう。

同じデビューをするならば、賞のブランド力を高めるために新人作家のプロデュースに尽力してくれるだろうレーベルが絶対に望ましいです。

そうした意味で、今、MF文庫Jライトノベル新人賞がお勧めです。

さがら総(さがら・そう)

2010年、第6回MF文庫Jライトノベル新人賞にて『変態王子と笑わない猫。』で最優秀賞を受賞し、デビュー。大ブレイクを果たし、その後、TVアニメをはじめ様々なメディアミックスを展開する。第9回より、MF文庫Jライトノベル新人賞の審査員を務める。