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『4時間目』巻末収録超極秘作家による凄烈!!作品解説 全文掲載!「このような女児盛り作品の解説は、私の筆名に傷をつけかねない。」

「王様は裸だ!」
 子どもにそう指摘された王は、しかし裸のままパレードを続けたという——。
 言わずと知れたアンデルセンの寓話、『裸の王様』のラストシーンであるが、私はここに本作との類似を感じてしまう。
 と言っても、『教え子に脅迫されるのは犯罪ですか?』本編のことではない。
 問題は解説のほうだ。本作に残された謎は数少ない。
 なにせ一巻から三巻に至るまで、白鳥士郎・渡航・橘公司という錚々たる書き手陣が、真っ向勝負で解説を担当したのだ。
 三氏それぞれの個性豊かな筆致で赤裸々にされた作品を、なおも読み解く意味が本当にあるのだろうか。これ以上の解説を重ねることは蛇足のみならず、女児てんこ盛り作品と関わってしまった私の筆名にまで傷をつけかねない。
 そう主張したが、あいにく抗しきれなかった。ロリコンは圧が強い。
 なぜ私にまで解説依頼が回ってきたのか、今さらなにを書けばいいのか。さがら総による巧妙な嫌がらせではないだろうか? そのように訝しんだときもあったが、本巻の原稿を頂戴して、少なくとも前者の疑問は氷解した。
 確かにこのストーリーならば、私が解説を書く意味もあるだろう。
 ご存知のとおり、さがら総のデビューは第六回MF文庫Jライトノベル新人賞だ。
 そして、同じ2010年、同じレーベルの同じ回で、私も賞を取っている。
 要するに、我々はまさしく同期の間柄である。作中で言えば、星花に対するヤヤのポジションということになるだろうか。
 しかし率直に言えば、さがら総という人間と、私は親しくなる機会が持てなかった。特殊な状況を除いて、直接言葉を交わした記憶がほとんどない。彼の著作はほとんど全てを読んでいるのだが。ある意味で、ライバル意識ということになるのかもしれない。
 よって、同期としてではなく、一人の作家として解説を書こう。
 さがら総との乏しい会話のなかで、今なお、鮮烈に覚えている言葉がある。
「ファンレターをもらうと、少なくとも一ヶ月は封筒を開けて読めないんです」
 パーティーのトイレの鏡の前で出会った際、彼は淡々とつぶやいたのだ。
 すぐには意味がわからなかった。作家たるもの、ファンレターを受け取ったらだれもが狂喜乱舞する。当然、私も嬉しい。私にはじゃんじゃん送っていただきたい。
 しかし、さがら総は違う。好意を正面からぶつけられると、どうしていいかわからなくなって、しばらく心を落ち着ける時間が必要だというのだ。
 これは明らかに、前巻で橘公司氏が記していた『作家からの褒め言葉は全部煽り判定』問題と相通じるものがあるように思える。
 読者を気にせず執筆しているために動揺する、というわけではないだろう。
 本作のモノローグで、読者へメタフィクション的に呼びかける、いわゆる『第四の壁』を破る技法が多用されているからだ。これは彼の代表作である『変態王子と笑わない猫。』でも見られるが、読者の存在を意識しているということに他ならない。
 つまり。
 さがら総は読者の声を聞きたがり、読者に声を届けたがるのだが、直接読者と話すことができない。分厚い透明の箱のなかから、外の景色を眺めているようなものだ。
 それは悲劇であると同時に、喜劇である。
 この小さな悲喜劇は、彼の作風にも大いに反映されている。
 私が最も好きなさがら総作品のひとつに、『そんな世界は壊してしまえ —クオリディア・コード—』という物語がある。
 そこで描かれるのは、世界から無残に捨てられ、それでも世界を守ろうとするヒロイン、『宇多良カナリア』の狂気じみた愛だ。彼女は決して世界と触れ合うことが許されぬまま、世界を抱きしめ続けている。悲劇であり、喜劇でもある。
 本作『教え子に脅迫されるのは〜』にも、同種の悲喜劇めいた矛盾構造が見られる。
 主人公の天神は物書きであり、講師である。
 作家は優れた作品に嫉妬を覚えるものだ。師は弟子に超えられる瞬間を喜ぶものだ。
 弟子の成長を望み、他人の成長をよしとできない。その葛藤を乗り越えて、天神は真に世界を愛することができるのだろうか。
 これは才能の物語であると、白鳥士郎氏は言った。
 同時に、才能を超えるアウフヘーベンの物語でもあると、私は思う。
 女子学生たちが、彼の二律背反を打ち破ってくれる存在であることを祈ってやまない。
ついでに、小学生組の出番がもっと増えるといいと思う。楓ちんぺろぺろ。たまには女児てんこ盛り作品もいいよね!
 本巻のラストで提示されていたように、次巻はもっと面白くなることだろう。テーマ面においても、ラブコメ面においても。他人の作品の出来に太鼓判を押すことは、なんだかとても気楽なことだ。のんびり信じて待っていればいいのだから。
 ただひとつ、懸念点があるとすれば、本編ではなく解説のほうである。
 ひとつのシリーズ作品を、異なる切り口から四回も五回も解説させようとすることは、もはや無茶無謀というより他にない。
 次巻以降、いったい誰が本作の解説を書くのだろうか。王様は裸である。

天出だめ

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